うつくしいきみへ
いつからだろうか。
自分のことが大きらいで、何もできない自分を許すことができなくて、毎日毎日責めて責めて泣いて泣いてこんな自分のこと誰も好きになってなんかくれない愛してなんかくれないって。
人生が楽しくなくて、楽しくするために自分を変えようって、悩み続けていた自分が、
自分のすべてを、こんなもんかって許すことが出来て、自分のことが好きになって、自分が自身であることに幸せを感じるようになった。
自信もついて、笑顔も増えて人生が楽しくてしょうがなくなった。
誰からも愛して貰えないって思っていた自分が、自分を愛せていなかったと気づき、自分を愛せるようになった。
変えよう変えよう理想の自分になろうと思って探し続けたゴールは、結局ありのままの自分だった。
ずっとここにいたのに気づかなかったんだ。
話を戻す。
いつからだろうか。
特に思い当たる出来事も何も無い。悩んで葛藤している間にいつの間にかこうなっていた、?
多分、たぶんなんだけど、
じんくんを毎日見て、彼の考え方に毎日触れて、彼の口から出る言葉を毎日聞いている間に、
私の考え方の原点にある芯的ななにかが、洗脳されるように言い聞かせられて、変わったんじゃないだろうか。
JINは、
顔はアジア1の美形で、自分の顔が好きなナルシストで、親父ギャグが大好きですべろうがいつでも言って、弟に適当にあしらわれる長男らしくない長男、
ってよく言われてる。
じゃあきむそくじんは?
多分、おそらく、というか私の勝手な妄想だけど、じんくんは、メンバー内で最も自信が無かった人だったんじゃないか。
私と同じように。
自分の顔も自分のパフォーマンスも自分の性格も自分自身が納得いかないものだったんじゃないかな。
アイドルになろうと一生懸命努力してオーディションで勝ち取ってBTSになった6人の弟たちと、
俳優志望だったけどスカウトされて、まあそれもいい経験になるからやってみようかなとBTSになった長男。
そもそもの立ち位置や考え方が違うだろうし、きっと弟たちと比べて落ち込んで、劣等感を感じたこともあったと思う。
でもじんくんは、それを知って理解した上で、「自己愛」の大切さに気づき、それをモットーにして今まで努力してきたんだと思う。
Awakeの歌詞で、
「maybe i i can never fly」
「maybe i i cant touch the sky」
という部分がある。じんくんが制作したサビ部分。
「きっとぼくは空飛ぶことは出来ない」
「きっとぼくは空に触ることは出来ない」
まさにじんくんの考えそのもの。
きっとそういう風に自分自身を理解してゆるしたんだろう。
でもそれは、どうせできないからいいや、僕はこれくらいの人間なんだから、というものでは決してない。
じんくんが、自分自身を理解して、愛し、認めて許した上で、現状に満足しないで努力するということ。
じんくんの努力は本当にすごい。
ダンスは経験がない上に、おそらく俳優志望だったから、歌の経験もなかっただろう。
初期の歌もそうだし、最近の曲でもじんくんのパートはすごく少ない。
八道江山(ぱるどがんさん)ではパートがない。はじめて聞いたとき、え、そんなことがあるの?って思って何度もきいてみたけど、やっぱりなかった。
血汗涙もソロパートはやっぱりなくって、1番最後にジミンとふたりのパート。
血汗涙のカムバ活動のとき、音楽番組で1位をとったときのアンコール?を愛嬌バージョンでやるっていう公約をかかげたときの映像をみたとき、胸が苦しかった。
いつもは率先して愛嬌をしているじんくんが、最後まで出番がないのが、虚しくて見てられなかった。
Not TodayのMVのソロカットは、走る瞬間をうつしたたったの2秒。
今回のカムバの、ONのfancamを見ていても、しばらくバックダンサーばっかり写ってじんくんは一向に出てこないし、ダンスブレイクはメンバーの中で唯一出てこない。
そんな普通の人では諦めたくなってしまうような状況でも諦めないでやってる。
ダンスプラクティスを見てるとキレが強くてスピードのあるまわりの6人から1秒の遅れもなく1ミリのズレもなくシンクロダンスできてるし、なにより今回のONでじんくんのダンスがなめらかになっていて、明らかに変わりつつあるじんくんのダンスに感動した。
もう正直BTSが1位をとることも当たり前になりつつある今でも、30歳が近づいてきてこれ以上体を使うパフォーマンスのレベルを上げることは難しくなりつつある今でも、
じんくんはひたむきに努力しているんだなと実感した。
じんくんの努力はパフォーマンスだけではない。
じんくんは実家ではマンネで(お兄さんがいる)、おそらく年上か同い年の友達が多くて(年下の友達をみたことないきがする)、甘えることが好きなじんくんが、BTSの長男になるってなったとき。
いろんな葛藤もあったと思うし、「はじめは長男になることが嫌だった」と言ったのを聞いたことがある。
それでも、デビュー当時に「弟たちは何があっても絶対に守る。」と言ったように、覚悟を決めて長男になった。
そして、ファンには絶対に良くない姿を見せないようにしている。
カメラの前やファンの前では絶対に泣かないようにしていて、「かっこいい僕達のパフォーマンスを見に来てくださったんだからなく姿を見せたくない」と話してることは有名だ。
それと、
「ダンスの練習で先生にめちゃくちゃに怒られて泣きながらご飯を食べた」という話や、「夢の中で歌の練習をして怒られ、寝ながら歌ってずっとちぇそんはむにだって謝ってた」っていう話を聞いて、
そのひたむきな努力と報われない現実に胸が痛くなったし、ふとなにか違和感を感じてしまった。
その違和感とは、自分たちの知ってるじんくんとはちがう姿だったから感じたものだと思う。
ふだんじんくんが見せてくれる姿とは真逆の姿に、
いつもじんくんはJINしか見せてくれてなかったんだ、と実感した。
パンPDにむが言う、
「メンバーみんな性格が変わったが、長男であるじんは性格が変わらなかった。とてもとても常識的だ。メンバーが基準線の外に出ていかないようにしてくれている。」
という言葉。
メンバーのみんなはデビュー当初から性格がよく変わったなあと思う。
もちろんそれは、謙虚じゃなくなったとかそういう悪い意味じゃなくて。
でもじんくんはあまり変わったように思えない。
それは、ずっと一貫したJINを見せてくれているから、と、じんくんのなかにデビューしたときから変わらない、揺るがない考え方があるからだと思う。
それが、「自分を愛すること」「Love Myself」。
でもそれは決して傲慢なものじゃなくて、ボンボヤ2でじんくんは、
「 僕がいつもふざけていつも笑っている理由は僕がふざけるのが幸せだっていうのもあるけど、相手が笑うから、もっと幸せなんだ。
僕を幸せにするために、相手を利用するって事だ。相手を笑わせて、僕を笑わせるんだ。
他の人にとっても、他の人が笑うから良いんだよ」
と言っていた通り、結果として周りの人のことも考えられている自己愛。
そしてその考え方に、影響を受けた人は、私だけじゃなくて6人の弟たちもだと思う。
心理学者の人の話によると、
ストイックな人がストイックにできる理由は、どこかにマイナスの気持ちがあるかららしい。
やらなきゃいけないんだ、こんな自分じゃダメなんだと責めて自分を追い込み、ストイックになるらしい。
才能がありつつもひたむきに努力する6人の弟たちは、そんな気持ちがあったんじゃないだろうか。
そんな時に出会ったじんくん。
デビュー当初、じんくんは、7人の中ではパフォーマンスのレベルは1番低かったかもしれない。
それでも、自分をせめて努力するのではなく、“自分を愛すること”を大切にしているジンくんを見て、何だこのヒョンは、と感じたかもしれない。
ナムジュンの
「僕はいつも頑張らなきゃと思っているタイプの人間だったのでJINさんに出会って考え方が沢山変わりました」
という言葉。
ジミンの
「ジンヒョンから沢山学んだと思います。もともと僕とジンヒョンは性格が合わなかったんですよ。僕はちょっとすごく真面目だったみたいで、常に何かしら意味を持っていようとして忙しく詰め込んで生きようとしてたみたいです。僕がわざとそうしてたんです。でもジンヒョンは僕と全く正反対でした。
幸せなのが最高で、自分自身が楽しむことが1番で…。そんなだから全然ケンカすることなんてなさそうだろうけどぶつかる事が多かったんですよ。ヒョンそれは違いますよ!何でそんなふうにするのか分からないです!って…こんなふうに言ってたんですけど、毎日毎日、1年が過ぎるたびにジンヒョンが言ってた言葉たちが正しい事がとても多かったんです。実際それは正しかったし…今思えば僕の為に言ってくれてたことなのに僕はずっと否定して…だから後になってみると…去年もそういう話を沢山しました。”ヒョンの言ってたことは全部正しかったです”って。
ヒョンの言葉は全部正しかったです結局って。
ジンヒョンには何だか『幸せ』だったり、人生楽しく生きなきゃな〜ってことを沢山感じました。」
という話。
自分を責めながら努力してきた6人の弟たちが、いま1人の長男とともにLove Myselfをかかげて活動してる。
Love Myselfはもしかしたらじんくんの考え方から生まれたコンセプトなんじゃないかな。
そんな記事を韓国の新聞でみたことをおもいだした。
2017年くらい?までのVLIVEを見ていると、相変わらず1人でさわぐじんくんにメンバーからのちょっと冷たい視線を感じることがあって、見ていてちょっと胸が苦しかった。
でも最近のじんくんを見ていると、少し落ち着きはでてきたものの、
じんくん自身は変わっていなくて、周りの6人の弟たちの接し方が変わってきたなあと思う。
小さい頃から血のにじむような努力をして磨き上げてきた個性とパフォーマンスと才能にあふれてる弟たちが
最終的にはじんが正しかったと、そこまで分かり合えるのにどれだけ時間がかかるだろう、どれだけ大変なことなんだろう。
普通だったらそうなる前にわかりあえなくて縁を切ってしまいそうだけど、
その結論に至れるまでなんかいも話し合ってなんかいも理解しようと向き合ってきたであろう7人の絆はほんとうに強い。
そんな、じんくん。
真面目で努力家で、くもりなきまなこで真実と自分の立場を見つめていて、いつまでも謙虚で、カッコつかないちょっとダサいところもあるけれど、自分のルールからは絶対にはみ出さない強い自分をもつ、まっしろ純白がにあうじんくんが、好き、って言葉では簡単に愛を言えるんだけど。
今でもちょっとどういう好きなのか、よく分からないところかあって、
中学生っていう、自分がなんなんだかよく分かってないし、恋も愛もよく分かってない(それは今もだけど)、思春期どまんなか(かはよく分からないけど)に、好きになってから高校生の今まで、もう数えてみるといつのまにか5年目になるんだけど、ずっと、"すき"でいたからなんとなくそのまま好きでいつづけてるんだけど、
わたしの好きってなんだろう。
彼が私の心の中、スマートフォンのロック画面、部屋の壁の紙の中、私の日常にいることが、当たり前すぎて、
深く考えようとするとわかんなくなっちゃう。
それが正直な気持ち。
でも、きむそくじんが好きじゃなかった、小学生より前の生活はよく思い出せない。
わたしは何にときめいて何を励みに頑張ってきたんだろうか。
私は陸上の長距離をやっていて、
1000を測る時に、1番きつくなる、脳に酸素が回らなくなる800メートルを過ぎたあたりからでさえ、君のことを考えるのに。これほんと。
寝ても覚めても頭の中は君だらけ。
やっぱりじんくんが好きなんだよなあ。
アイドルとしてのJINが好きだっていうファンとしての“すき”もあるし、
じんくんの美しさにたいする宗教的で絶対的でちょっと盲目的な“すき”もある、
それと、特別になりたくてもなりきれなかった自分がじんくんのもつ輝く特別さを羨む気持ちもある。
それでも、なんか言い表せないこのきもちはなんだろう。
この好きはなんだろう。
私はアイドルや2次元に恋する人を見て、なんで叶わないのに恋するんだろうってずっと思って生きてきた。
アイドルが好きな友達をふしぎだなと思っていたし、自分がそうなることは無いんだろうなって思ってた。(今思えばフラグ)
だから自分が恋してるかどうかなんて、1ミリも疑ったことはなかった。
そんなことはありえないと思っていた。
でも、それ以外のなににも言い表せないこのきもちは、きっと、恋なんだろう。
わたしはきむそくじんに片思いしてる。
JINはいっぱい知ってても、きむそくじんをなにも知らないくせにね、
いっちょまえに恋なんかしちゃってる。
Best Of Meのゆんぎさんのラップパートに
「自分がこんなふうになってしまうなんて 想像もつかなかった」
っていうところがある。
そのとおりだ。
まさか自分がアイドルである君に恋するようになるなんて。
でも、この感情に気づいた時、私はこの感情を否定しようとしていた。
東京からソウルまでの1159キロもある遠い距離も、パスポートの色で実感する違う国籍も、なにもかも理解してるつもりだし、
私の生活や人生のなかでじんくんが100を占めていても、じんくんの生活や人生の中ではおそらく0.1にも満たないことも知ってる。
もちろんじんくんはあーみーを愛してくれてるけど。
そう、私はじんくんの生活に1ミリも関われない。
わたしのなかでじんくんは、わたしの人生のあらゆる選択肢を決めてしまうくらいおおきなおおきな存在なのに。
ピアスだって、君のまねをして同じ位置にあけたのに。毎日つかってる定期入れだって、壁に貼る写真もスマホカバーもきく音楽もスマホのロック画面もキーボードもぜーーーんぶ君なんだよ。
悲しいことに、私がファンをやめて動画を見なくなって、いいねを押さなくなって、アルバムを買わなくなったって、
今を輝くスーパースターの彼らにはほんのすこしの影響もない。
他のたくさんいるあーみーたちにたくさん愛をもらう。
どんなに時間やお金や労力を費やしたって、気づかれやしないし、私たちのアーティストとファンっていう関係は変わらないんだ。
そうやって自分に言い聞かせてきた毎日は辛かった。
恋しちゃダメなんだって言い聞かせてもそんな簡単にやめれるもんじゃないし、そんな自分や、じんくんとの距離が憎くてたまらなかった。
夜になれば、1度も縮まったことのないこの距離が、なぜかもっと遠くなったように感じて、
こころにぽっかり穴が空いたような虚無感と喪失感におそわれながら、なんとか自分をなぐさめて寝かせる。
そんな、ある日、じんくんのゆめをみた。
夢で見たじんくんは、私の想像通りで、
いつもとは違くてちょっとクールで落ち着いてたんだけど、シュッとした細い輪郭に高い鼻筋、にっと笑う分厚い下唇に白い肌で、ちょっとお兄ちゃんのような安心感だった。
そのじんくんとおでこをくっつけたとき(きもいのは自覚済み)、すごくすごくとてつもない幸福感につつまれた。
そのとき気づいた、私のユーフォリアは今でもやっぱりじんくんで、わたしはじんくんにいまでも恋してるんだって。
恋する自分の気持ちを否定するのはもうやめた。
そうやって、
こんな先に何も無い、ちょっと不健康なかたちの愛でもいいんだ、って思えた時、心がすごく軽くなった。
でも。
恋してることを認めても、辛い試練はまだある。
TwitterやYouTubeやウィバースにはりついてしまうじぶん。
いくらじんくんの動きを、じんくんののこすツイートひとつひとつを追えなくったって、
じんくんと私の距離は何も変わらないじゃないか。
そんなことをしなくたって、私の心の中にはじんくんに今までもらってきた大切なものたちがたくさんあるじゃないか。
じんくんが幸せそうにしていて、なにか賞とかもらって、1位もいっぱいとって、それを見ていると私も幸せな気持ちになる。
けど、私の生活は何も変わらない。
私は私の生活を生きなければならない。
それと、周りと比べてしまうじぶん。
最近、ファンの定義について議論されることが多くなったように感じるし、ファンならコンサートには絶対に行くべきだ、絶対にグッズは買うべきだ、絶対にあの動画は見るべきだ、そんなことをよく聞くようになったと思うし、自分の全てを費やさなくてはいけない使命感に追われる人はいると思う。
そうしてこその愛だ、って。
でもそれって、ただの、エゴ?。なんて言えばいいのかわかんないけど、
自分の存在する理由を彼らに押し付けてるし、
貢ぐことで満足して安心してるだけ。
そんなものに縛られたくない。
それに、ファンの定義って、自分が好きでいれば、それは堂々と胸を張れるファンだ。
周りと比べて勝手におちこんできずつくのはもう終わりにしよう。
そしてもうひとつの私の悩みの種だったもの。情報垢っていうかれらの色んな噂が飛び交う界隈がある。
きっと好きが行き過ぎた人はそこに行き着いて、ひどく落ち込むと思う。
私も何度も見て、落ち込んだし、いわゆる大手垢の人が羨ましかった。
なんだか、彼女たちの方が自分よりじんくんたち7人に近い気がしたから。
でも、きっと彼女たちもじんくんから見て、私と同じ位置にいると思う。距離はそんなことじゃ埋められない。
そもそも、そこに書いてあることは正しいことなんだろうか。
もっと言うと、一時期日本中がBTSをふくろ叩きにしていた時期があった。
あるひとつの事実に、たくさんの根も葉もないうそのうわさがくっつけられて。
かれらを何も知らない人達が勝手な憶測を突きつけて、たたいて、きずつけて。
すきなひとが傷つくことってすごく辛かったし、信じていたわたしもすごく辛かったし、
毎日心臓が脈打つ度にいたくていたくて、とまってしまえと思っていた。朝起きる度に憂鬱な気分になった。
しだいに私も彼らのことを信じられなくなった。
「好きな人だから何をしてても好き」「日本をバカにしていようが好きだから許せる」という考えが良くないことはよーく分かっている。
何も知らない見えない聞こえないふりして盲目的になることはしたくない。
私も愛国心とかは正直ないけれど、それでも自分の生まれ育った国を嫌う人に好感はもてない。
私の大好きな曲、LoveMazeにこんな歌詞がある。
「あのいくつもの嘘の喚き声たちが簡単に僕達の仲を引き裂く」
「僕達は僕達だけを信じなきゃ」
「時には嘘が僕達の仲を引き裂こうとするし、様々な試練が僕達を騙そうとする そんな時は周りなんて見なくていいし聞かなくていい僕だけに集中して」
考え直して見てみると、
わたしの好きな彼らは、
国籍だけで私たちを嫌うような人であったか、
情報垢とやらに書いてあった通り舞台裏で態度が悪くなるような人であったか、
女遊びが激しい人なのか、
私はかれらを、じんくんを信じることにした。
ほんとうのすがたなんて、分かりっこないし、誰かが言ってることが正しいのかもしれないけれど、。
そんなわけで、私は今日もじんくんに思いを馳せながら頑張ってなんとか生きている。
練習して、レコーディングして、ダンスして、撮影して、作詞して、合間合間はバンタンボムやドキュメンタリーのカメラが入り、忙しなく心配になっちゃうぐらい懸命に働く、じんくん、と、防弾少年団。
頭が良くて、肌はつるつるで綺麗で、小さい顔に、くっきりしたパーツ、シュッとした輪郭に細い足、ウエスト、謙虚で努力家なじんくん。
に、もっと近づきたい。
頑張ってもっといい自分になれたら、
もっと自分を愛せるようになって、いつかこの恋を卒業できるかな。
もっと健康的な愛をじんくんに届けられるかな。
いつかくるその日までは、わたしはずっとじんくんのことが好きで、じんくんに片思いしながら、いまの辛くて苦しくて愛おしいこのきもちを抱えながら、生きていく。
今日もやっぱりきみがわたしのひかり。
- seola -